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囃子の音は海を駆ける① :素晴らしき変わらぬリズム

かの星であるこの私がノリで書いてみるテスト。恥ずかしい。















 静かな深夜の図書館の中で、勉学に励む少年がいた。彼の前の机には幾つかの本が開いて置いてあり、その中の一つを読みながら、同じく机に置かれたノートに何かを書き取っている。傍らの床には20冊ほどの本が積まれていた。しばらくそうしていると思えば、突然思いついたかのように他の本をガッと掴み、勢い良くページをめくる。それからまた静かに読み始め、何かを書き取る、という行動を少年は繰り返していた。
 ランプの明かりが作る影は、少年と本で出来るもののみだった。明かりで照らされて見える少年の姿は、洒落た言葉で言うならボブカット、他の言い方であればおかっぱといったもので、耳まで隠れており、水色と緑色の中間の色をした髪を持ち、丸っこいその目の色は金であった。その目はランプの明かりで異様に輝いており、少年の柔和な顔立ちと不釣合いな感じを呈している。何時間も続くのではないかと思わせるようなその静かな光景は、本を台車に積んで運んできた男によってすぐに消える。男は少し髪が薄く、痩せ気味で、片眼鏡をかけ、堅苦しい顔つきをした中年の男性だ。
 その男は、少年の横に積まれている本のうちの一つを示しながら、机へのめりこむような体勢の少年に話しかけた。

「マーク君、この本は持っていってもいいかな」

 深い思考の中に沈んでいた少年、マークヘリオ・アーデルバーグはその声に反応し、頭を上げる。そして男の方を向き、男の示す本を見た。マークはその本が必要かどうか確かめるためにさらりと読み流し、少し考え込んでから言った。

「はい、持って行ってもいいです。すみません、お仕事の邪魔をしてしまって」

 それを聞くと男は頷いてから、少年の横の本を積んである中から目的の本を取り出し、台車に乗せる。そうしながら、自らの仕事の都合やマークの都合を考え、話しかける。

「それは大丈夫だけどね、いくら何でもこんなに長い間座ったままでは体に悪いだろう。食事だって摂ってないみたいだし」

 それを聞き、よもやと思いながら、マークは時間を確かめるために窓のほうへ歩み、外を見た。彼自身はあまり長く図書館にいたつもりは無かったのだろうか、月を見て驚き、目を開いた。自分がどのくらいいたのか分かったマークは振り向いて、男に申し訳なさそうに言った。

「ごめんなさい、少し長く居すぎたみたいです。あとちょっとで一段落つくので、そうしたら帰ります」

 早く終わらせようとマークは椅子に座り、本を開く。そんな少年の様子を見て、大したことではないといった感じで男は返す。

「いや良いんだ、君は作業を手伝ってくれた訳だし、静かだから邪魔でもない」

 台車を押し、男は図書館の受付の方に行こうとした。しかし、そこでふと受付の方を見たマークが思いついた様な感じで男に話しかけたので、男は歩くのをやめる。

「館長さん。そっちの、もう箱に詰めた本、見ていいですか」

 館長と呼ばれた男は、首を縦に振ってから言った。

「問題は無いんだけど、君も知っている通りあれらの本は廃棄される奴だ。役に立たないかもしれないよ」

 マークは許可を確認すると、礼を言ってからすぐさま箱のほうに向かう。受付に幾つか置いてある箱の中で、見覚えが無いものの蓋を開け、中を探した。少年の行っていた作業は行き詰っていたのだが、それ故に何処が問題であるか、解決方法は何であるかも分かっており、目的に適った本は10分もすると箱の中から見つかる。そのまま作業に戻ろうと思ったが、もう夜は更けていることを思い出し、少し考えてから、すぐ隣で作業をしていた館長に声をかける。

「この本、借りてもいいでしょうか?」

 台車の上を空にし、また本を乗せに行こうとしていた館長は、目的の本を持ってきたマークにあっさりと答える。

「うん。でも一応帝都に送ることになってるから、後で返してね」

 頭を下げ、館長に感謝の礼をした後にマークは、もうこれで帰ります、と言った。机の上や椅子の横に出してあった本を全て元の本棚に戻し、私物をカバンの中にしまいこむ。近頃はもう夜になると寒いので、ケープをはおってからカバンを肩にかけた。その後、別れの挨拶を館長に告げてからマークは帰宅するために外へ出る。
 歩き出した少年の周囲は当然の如く暗いが、ある程度の月明かりと、幾つか灯っていたガス灯のお陰で帰れないほどではなかった。
 レンガの道を十分ほど歩いていくと、もう少年の自宅に着く。
 鍵を開けて家の中に入ると、マークはいつも決まった位置に置くことにしているカンテラを手に取る。そのカンテラは油の注ぎ口や灯心が無かった。しかし、カンテラを持つ少年の手が少し光ったかと思うと、カンテラはひとりでに火も油も無く太陽に似た光を放つ。そのまま少年は家の奥へ行き、寝る仕度を始めた。
 家族の姿は無い。彼には身寄りが無かった。孤児院から図書館に通い、勉学に励み、やっとのことで帝国の高等教育機関に、奨学金制度を受けながら入ることが出来た。その後は論文を書き、それでもらった賞金や、近場で働くことで財をため、家を買った。
 彼を一言で表すなら、努力の人。才能が出世に大きく関わる帝国で、ひたすら真面目に努力の積み重ねのみで進んできた。そんな未だ18歳にも届かない少年の宝は、教育機関から優れた結果を残したものへ贈られるペンダントである。それはマークにとって、自らの歩んだ道を最も具体的に表してくれるものだった。
 寝間着に着替える前にそのペンダントを外し、明日になったら借りた本をすぐ返せるようにさっさと読もうと少年は思った。なので、すぐ仕度を終わらせ、眠りについた。






 そこには科学があった。魔法があった。
 数十年前までこの二つは一つの分野として扱われていたが、ある科学者によりこの二つの分野に分けられる。物学と霊学の始まりであった。
 物学とは、目に見えたりイメージが可能な領域を研究する学問を指し、霊学は目に見えない感情や願望等の領域を研究する学問を指した。
 それまでの、今は万学と呼ばれる学問から生み出される発明品は、非常に動作が不安定でとても使えるものではなく、一部の上流階級の、更に一部の物好きのみが使うようなものばかりであり、学者とは道楽者が雇う、道楽者のやる職とまで言われるほどであった。
 だが、この分類分けが行われてからの発明品は、安定した使用が可能で、学者のイメージは払拭される。それどころか、学者になりたがる人数がとてつもない量に上った。なぜなら、それらの発明品を作り出したものは皆、巨万の富と多大なる名声を得たからだ。
 物学であるなら、蒸気機関やガス。霊学であるなら、Phycho-Phisics Transducer(心理-物理変換器)、略してPPTと呼ばれるもの。これらが現在広く使われる発明品の代表であろう。皆どれも大発見、大発明と評価されている。
 中でもPPTは霊学始まって以来どころか、学問始まって以来の最も偉大な発明であると言われている。PPTは大きさが様々である、紋様が刻まれた円盤のような形状をしている。これに、人の精神に元から備わっているという、性質子と呼ばれるもので満たすと、あらかじめ指定された現象を発生させることが可能なのだ。
 それまでも、空中に同じ紋様を性質子で描けば、同じことが出来た。しかしPPTの場合は、円盤の紋様に一定の性質子を満たすだけで出来るというところが大きな違いだ。空中に紋様を描く場合、紋様の形状を暗記するか、メモを見る必要があるが、PPTさえあれば一々覚えなくても物的ではない現象、すなわち、霊的現象を発生させられる。簡単に目的の現象を起こせるPPTは瞬く間に広がっていった。
 しかし問題点も存在する。性質子は人の精神から発生するが、人の性格やその時の気分、才能などによって発生させられる性質子の総量、いわゆる総霊力の限界が発生してしまうし、季節、地理等、様々な要因によっていささか不安定である。
 そこで活躍するのが蒸気機関やガスなどだ。これらは物理的な資源のある限り安定した動作をし続ける。PPTに任せると事故が多く発生した、常に動作している必要があるものなどを受け持った。
 そのような大きな影響を与える技術が作られてから十数年。国際情勢は、確実に変化している。






 起床してから5時間ほどたった頃には、マークの論文は完成していた。図書館で何日も悪戦苦闘し、後回しにし続けていた部分であったはずだったが、そんな部分が廃棄直前の本一冊で解決してしまったことに、マークは驚いていた。
 その本は、物学と霊学の両方を取り扱っていた学問、万学の本であった。不安定なものしか生み出さない万学は人々から忌避され、だんだんと淘汰されていっている。今回の本の廃棄は帝国の、間違った知識を与えかねない万学の本は廃棄すべきである、という決定から起こったものであったが、その決定は間違いであるとマークは思った。
 別に万学は間違った知識を生み出す学問ではない。ただ、物学と霊学という分類分けを経ずに研究しようとするなら、非常に複雑すぎて扱いきれないだけなのだ。
 少年にはそんなことは思いつくことは出来なかったが、とにかく本の廃棄は間違いであると思った。かと言って、別に何か行動を起こすわけではない。帝国に逆らうほどの理由にもならないし、逆らうだけの気概も少年には無い。
 論文を整えるとマークは、とにかく本を急ぎ返さねばならないと思い、仕度をして外へ出た。
 休日であるので、帝都に近い彼の住む街の道は、それなりに人が歩いている。
 図書館に向かうマークの耳には、様々な噂話が流れ込んできた。貴族のスキャンダルや身近な人間の話題などもあるが、彼の気を最も惹いたのは、近頃良く聞く、戦争に関する噂であった。
 使用法やタイプによっては天変地異すら起こせると言われるPPTは、戦争の切り札として非常に優秀であった。物的兵器も帝国の歴史や状況の関係上、早めに最新型が配備される。そのような進化に対し皇帝は、今こそ有利に戦える時であると発言し、戦争の噂を呼んだのだ。
 帝国リラカトラは、群島国家が殆どを占めるこの世界において大陸に出来た、非常に強力な国家であった。昔、この国がある大陸には他の国家も存在したが、帝国はその全てを攻め滅ぼすか、事実上吸収と呼べる合併を行ったので、今はここ一国のみである。その時から大陸の名もリラカトラと呼ばれる様になった。そのような歴史の特性上、帝国は陸軍が他の国家に比べて非常に強かった。だが海戦の重要度が圧倒的に高いこの世界において、帝国の陸軍は侵略という観点から見れば無意味であるとしか言いようが無い。他国の海軍に対抗が出来ないために皇帝一族は数代に渡り、侵略戦争を行うことが出来なかった。
 そんな中、科学に大きな変革がもたらされ、技術が飛躍的に進化した。軍事的な実験も多く行われ、海軍の権力も上がってきている。そのような情報が広まっているなら、人々が戦争の噂をするのは当然であった。
 街の中は比較的に戦争の話題が多く、様々な憶測が飛び交っている。しかし何の力も持たぬマークはただただ物騒であるという感想を持つ以外出来ない。そんな噂を聞き、そんな感想を持ちながら、特に変化もなく図書館にたどり着く。

「館長さんこんにちは。本を返しに来ました」

 マークが図書館の受付の奥のほうで、本の箱詰めを行っている館長に声をかけると館長は、

「役に立ったかい?」

と聞きながら本を箱の中へ突っ込んでしまう。その様子を見ながらマークは、本と館長の両方に対して、

「はい、とても。ありがとうございました」

と言った。その様子を見ると館長は本を一瞥してからうなずいた。そして何日かマークの作業を見ていた館長は、世間話の要領で尋ねる。

「それで、論文の進み具合はどうだい?」

マークが論文を書き終えたことを告げると、館長はこうも言った。

「ここ数日は缶詰だったろう、今日はゆっくり休むといいよ」

 事実、論文を書き上げるのに集中するためにマークは、館長に頼みこんで時間外にも図書館を利用させてもらったのだが、帰る時間はいつも深夜かそれに近い時間帯であり、それまで席を立つことはほとんど無かった。本の廃棄のために遅くまで残っており、マークの様子をそれなりに見ていた館長がそういうのも当然である。実際、マークは少し精神的に参っており、そんな彼は館長の提案に対して是を返す。そのまま挨拶をしてから、マークは家でゆっくり休むために帰ることにした。
 取り留めの無い世間話で溢れかえる道を進み、自宅の前まで来ると、マークの知り合いが玄関の前にいた。背丈はマークと同じぐらいの、さっぱりとした短めに切られたライトブラウンの髪と、ぱっちりとした青い目が印象的な少女である。
 突然の来訪者に驚きつつもマークは、歩いて近づきながら、後ろで手を組み、不可解そうな顔をしてマークの家のドアを見る少女に声をかけた。

「レーネ?どうしてここに」

 声をかけられた、レーネと呼ばれた少女はそれに反応し、小さく素早くクルッと振り向く。そしてマークの姿を見ると、何かに納得したような顔をした。その一連の動作の後、少女はマークに話しかける。

「なぁんだ、留守だったんだ。そりゃ呼んでも出てこないよね」

 自分の質問に答えてもらっていないと思ったマークは、呆れつつももう一度問い直す。

「突然来たみたいだけど、僕に何か用でもあるの?」

そう聞かれたレーネは、もう一度同じ質問をされたということすら気づかぬ様子で、あっけらかんと言った。

「んーん、今日は暇だから来ただけ」
「……そうなんだ」

 今日は疲れているから帰って欲しい、それが話を聞いたマークの本心であった。しかし、わざわざ自分の所に来てくれた友人を帰すわけにも行かない、という気持ちもまた本心であった。ともかく家に上がるためにマークは玄関の鍵を、レーネの処遇をどうするか考えながら開ける。
 別にレーネという少女は、マークが、疲れているから帰ってくれ、と言って気を悪くしたり、無視して家に上がったりするような人物ではない。むしろマークの体を案じ、世話が必要であるか聞き、いらないならそのまま心配しながら帰るような人物だ。
 だからこそ逆に彼は、レーネを帰すことは出来なかった。それに、それほど長く居るわけでもないだろうと思い、扉を開けたマークは彼女を家へ迎え入れることにした。

「いらっしゃい、何も無いけど」
「マークがいるじゃない」

 その言葉の意味を、マークはすぐに読みとった。レーネとマークは同じ孤児院で育ったのだが、マークはよく彼女の話し相手になることが多かった。そうであるならば、彼女は暇のついでに気になっている何かを話しにきたのだろう、と予想がつく。
 なので、とりあえず居間のテーブルの前に座らせ、茶などを用意した。
 そして二人とも向かい合って椅子に座り、落ち着いたところでマークが話を始める。

「最近、孤児院の方はどうなってるかな」
「相変わらずだけど、マークがいなくなってからは、少し院長さん達も大変そうかな。手伝ってくれる人が一人減ったって」

 レーネはすらすらと返す。元から話すつもりの話題であったのだろう。そしてそこから二人は話を続けた。

「私もちょっと大変かな。孤児院で落ち着いた感じの子ってマークだけだったから。騒がしいのはいいけど、少し疲れちゃうよ」
「ああ……、本を読むには少し騒々しかったね。どうも、本当に相変わらずみたいだ」

 といった感じで、二人は他愛ない、お互いの最近あった身近な出来事について話していく。時々レーネが、難しいことを言うマークに閉口し、それにマークが謝ったり、突拍子も無いことを言うレーネにマークが笑ったりして、少しの時間が経った。
 ポットの茶が切れたので、マークは茶を淹れなおしに行く。そうしてから居間のほうに戻り、彼がテーブルの方を見ると、レーネはどことなく居住まいを正した様子で座っていた。
 マークは雰囲気を察し、少し神妙な面持ちで茶を置いて椅子に座った。レーネはそんな彼の様子にすこし面白さを感じたが、せっかく合わせてくれたのだと思って、表情を固めたままにしてから話し出す。

「あの……。マークはさ、将来は学者さんになるの?」

 何の話かと思ったらそんなことか、とマークは少し拍子抜けをした。彼は確かに勉学は出来るが、それ以外のことは余り打ち込んで来ていない。もしたった今から社会に出ろと言われ、職業に就くなら何にするかと聞かれれば、マークは確信を持って学者であると答える。だから、特に何の戸惑いも無く首肯する。
 それを見たレーネは、少し恥ずかしそうに言った。

「私ね、孤児院で働こうって思うんだ」

 マークは、レーネが孤児院で働く姿を想像してから言う。

「いいんじゃないかな。レーネは結構器用だし、院長さん達の手伝いだって普通にやってるし」

 そんなマークに対し、少しため息をついたレーネは答えた。

「そこは私も大丈夫だって思えるんだけど……。でも、私が院長さんみたいになれるのかなって考えたら、駄目じゃないかって思っちゃうんだ」
「レ、レーネが院長さんみたいに……?」

 レーネの発言に対して、マークは驚き、すぐさま言う。それを聞いたレーネは続けて言った。

「うん。あの人、怒ったときは凄いでしょ?だからみんな騒がしくても、やりすぎはしないんだと思う。私はあんな風に怒れないよ……」
「なるほど……」

 マークはそこで納得してしまう。レーネの性格を良く知っている彼には、同じく良く知っている院長の様な怒り方をするレーネを想像できなかったのだ。そして残念なことに、マークにはレーネの悩みを解消する答えが思いつかない。そこで会話は途切れてしまう。
 数秒の沈黙の後、ふと気になったことがあったマークは口を開く。

「そういえば、なんで最初に僕の将来のことを聞いたの?」

 正直、マークにとってどうでもいい質問だった。沈黙が苦しかったから出たものであり、レーネが話の切り出しのために質問をしたのだろうという予想を既に持っている。
 だから大方そんな所だろうと思っていたマークは、言うべきか言わないべきか迷っているかのような返答の詰まり方をしているレーネを見て、少し驚く。
 レーネが迷ったままなので、また数秒の沈黙が訪れる。その沈黙の後、レーネは再び居住まいを正してから答えた。

「私は、いつも頑張ってるマークのこと好きだから」

 それは男女の仲にあるような告白などでは無く、もっと複雑な意味と感情を内包した言葉であった。もしその感情全てをまとめて一言で表すとすれば、兄妹愛か、家族愛という表現が比較的近いだろうか。
 レーネがこの先マークはどうするのかと聞いたのは、いわば自分自身との誓いの証を得るためであり、同時に、この先頑張っていくための勇気を保つお守り、と表現すればいいのか、ともあれ、そのようなものを得るためであった。
 レーネは自分の感情を全て理解できていなかった。自分でも理解できない自分の心を他人が理解できるわけがないので、当然マークも正確に理解していない。しかし二人とも、それが男女の仲にあるような言葉ではないことは分かっている。長年の付き合いであるから、ぼんやりとだが気持ちを汲み取っている。
 だから二人は、

「そっか、ありがと」
「うん」

と、シンプルなやり取りを交わした。
 そうしてレーネは、裏にあった感情はともかく、自分が何を言ったか思い出して、恥ずかしそうに笑いながらうつむいてしまう。それを見てマークも何となく恥ずかしくなり、顔を赤らめる。そうして続いた沈黙が苦しくなったのか、レーネは口早に、

「ごめんね、疲れてるみたいなのにこんなに長く話しちゃって。もう帰るよ」

と言う。それに対しマークは参ったな、といった様子で、

「分かってたんだ。気を使わせちゃったかな」

と言った。そしていそいそと帰る仕度をしているレーネが、それに返す。

「ううん、こっちこそ」

 そうしてレーネの仕度が終わると、二人は席を立ち、玄関の方まで歩いていく。
 玄関を開け、マークはレーネを見送る。そしてレーネが帰り際に振り向いてから言った。

「話、聞いてくれてありがとう。私、頑張るから。マークも体に気をつけてね」

 レーネがなぜマークのところに来たのか、その理由は相談のためと愚痴のためで、マークなら親身に聞いてくれるだろうと思ったからである。
 そう言われたマークは何を今更、といった感じで言った。

「話を聞くぐらいなら僕でも出来る。またおいでよ」
「うん」

 レーネは返事をしてから、前を向いて、孤児院へ帰る方向に歩いていった。






 友人と会ったのち、じっくりと休憩し、眠りについたマークを朝に待っていたのは平日の日常であった。
 彼の行く高等教育機関は帝国によって作られたもので、国民の生活をより便利にしたり、戦争でより有利に運ぶことが出来るような道具を作るための技術を学ぶための場所である。時代を問わず、便利な道具を考え出した人間は全てここで学んだ者と言われており、PPTを創った人間もここの出とされる。
 この施設ではある程度、自分で学びたいものを選ぶことが可能であり、マークはPPTについてよく学んでいる。
 彼の自宅から30分ほど歩くと、そこに着いた。
 学問の細分化や変化が進むたび、高等教育機関も合わせて進むように増築や改築をしているので、建物の外見の差はそれなりにある。マークがいつも行く、PPTを主に学ぶ者が入る建物は施設内では築14年と、それなりに新しいほうだ。
 レンガで出来たその建物に入り、講堂へ向かい、そこにある椅子のうちの一つに座る。すると、一人の女性が、何人か女性を引き連れてマークの方へ来て、言った。

「おはようございます、マークヘリオさん」
「う、うん。おはよう、ロジェリシャットさん」

 顔見知りなのだから、本来挨拶のときに一々名前なぞ言う必要はないのだが、名前を呼ばれたためについ呼び返してしまう。ここに来るたびマークは彼女とこのやり取りをしているのだが、とても鬱陶しいと感じている。
 なぜなら、引き連れている女性たちの注目を浴びるし、それ以外の講堂内にいる人からも注目を浴びるからだ。そのような状況を好まないマークにとって、誰かと会話するだけで目立つ彼女は、非常に苦手な人物である。
 彼女のフルネームは、ロジェリシャット・ファネ・リラカトラ。名の中にあるリラカトラが示す通り皇帝の一族であり、第29位帝位継承者だ。霊人と呼ばれる存在の中でも珍しい二種霊人であったために、高等教育機関に入ることとなった。
 霊人とは、総霊力、一定条件下において人間が生まれ持った性質子の合計の量がある一定値を超えたことにより、通常の人間の外見から変化した存在のことである。大抵の場合、六つあるといわれている性質子のうちの一つが突出して高く、その種類によって外見の変化の仕方が違ってくる。
 マークの目の前にいる彼女は二つの性質子、熱素と秩素が高く、先のほうが少しカールした金色のロングヘアーと比較的発育のいい体、マークより幾ばか高い身長に加え、熱素霊人特有の赤を基本とし、そこにオレンジ色の火花が散ったような模様を持つ眼と、常人より少し高い体温を持つ。そして更に秩素霊人特有の、体の各所に出来た規則的な図形を描く、クッキリとした痣のようなものを持つ。
 性質子は個人のもつそれぞれの量によってその人物の性格に影響を及ぼすと言う。高ければ高いほどその影響を受け、熱素と秩素の高い彼女は、育った環境も関係しているのか、外向的で重度の負けず嫌いという性格となっていた。熱素は感情の変化をより多く引き起こし、秩素はその人物の精神を外交的にする。

「貴方、また論文の提出をするそうね。私も提出をするわ」
「え?……うん」

 PPTを扱うものにとって、霊力とは非常に重要なものである。各霊力は実験の材料となる上、総霊力の高さに比例して霊学の才能が高くなるからだ。
 彼女が一応は帝位継承者であるというのにこの場所に来ているのは、皇帝一族の優秀さを示すためである。二種霊人である彼女は一族のイメージを上げるための道具としてうってつけだった。第29位という、ほとんど帝位についたり重要な役職につく可能性の無い彼女にとって、一族の役に立つことは、自分があっても無くても変わらない存在ではないと周囲に見せることであり、この施設に通う彼女は常に最優秀者であろうとする。
 そんな中、自らの総霊力、いわば才能とも呼べるそれが自分より大きく下回るマークに、優秀者へ送られるペンダントが自分より早く授与されたことは彼女に大きなショックを与える。
 マークの総霊力は一般人の平均よりわずかに高い程度で、凡百中の凡百と呼べるレベルのものであった。霊力は特別な体験で心を強くしたり、精神を意図的に鍛えることで後天的に成長可能なものである。だがマークは、伸びてもそのくらいで、お世辞にも天才とは言えない。
 PPTを専門に扱うものの中のレベルでは、ほぼ最低クラスと言っても過言ではないほどの総霊力しかないマークに先を越されたことは、彼女にとってかつて無いほどの屈辱であったのだろう、それからマークを同期に入ってきたこともあってか、勝手に自らの最大のライバル的存在であるとし、ことあるごとに突っかかってくるようになった。
 たとえば成績。高等教育機関で学びたい者は山ほどいるので、機関外の優秀な人物と機関内の優秀でない人物を入れ替えることがある。そのための試験が行われるのだが、上位成績者は成績の詳細と名前を公開され、表彰を受ける。このあまりに分かりやすい指針をロジェリシャットが気にしないわけが無く、試験の度に毎回毎回マークの成績で喜んだり悔しがったりしている。それだけならいいのだが、彼女が勝ったときはこれでもかと言わんばかりに勝ち誇り、逆に負けたときはマークの話を聞きに来て原因を探り、勝手に納得して帰っていく。ともかく機関内に残れれば問題はないと傍から見れば冷めた考えのマークは、自分との意識の差に戸惑っており、最近では鬱陶しいと思っている。
 たとえば実験。ロジェリシャットは得意分野である熱素と秩素を利用する実験ならばマークに勝つ。そもそも何が勝ちなのかマークには一切分からないが、とにかく勝ちなのだ。ただし、マークは実験について予習し、実際にやってみる段階では既に理論が完璧となっており、問題は性質子の扱い方のみであり、彼女が扱い慣れていない冷素、光素、闇素、混素ではマークの勝ちであった。マークには何が勝ちか全く分からないので、自分に対して色々言ってくる彼女のことを鬱陶しいと思っている。
 たとえば交友関係。マークは機関の中で友人を多く持っているわけではない。対してロジェリシャットは女性の友人を数多く持っている。手下、取り巻きといった表現のほうが適切であるが、マークの人間関係がそこまで濃くないことは事実だ。彼女はそれについて、人間性では私のほうが圧倒的だとコメントし、勝ち誇った笑みをしながら帰っていった。そしてその日の帰り、マークは偶然ほぼ全員揃った孤児院の面々と会い、街中で立ち話をしていた所を、これまた偶然馬車に乗っていたロジェリシャットに目撃された。後日彼女がどういう関係であるか問い詰めてきたので素直に、みんな家族みたいなものかな、と返すと、非常に悔しそうな顔をしてきた。人間関係なんて人それぞれなんだから勝ち誇ったり口出しするのは間違いであると考えるマークは、鬱陶しいと思っている。
 果ては名前の長さ。マークヘリオとロジェリシャット、この二つを並べれば自分のほうが長く立派であると勝ち誇っている。先ほどわざわざ名前を呼んで挨拶したのもその一環である。マークは鬱陶しく思っている。
 さらにはマークの、ほんのわずかであるが、多く持つ性質子も関係している。マークは六つの性質子を平均的に持っているが、その中で冷素と混素をわずかに多く所持しており、その二つはそれぞれ熱素と秩素と相反する性質子であった。冷素はより感情の安定を促し、混素はその精神をより内向的にする。
 以前ロジェリシャットがマークの霊力の詳細について聞いてきたことがある。マークがそれに素直に答えるとロジェリシャットは、もうこれはいよいよといった風に、皆の前で、しかも大声であなたはライバルであると宣言してきた。

「貴方と私、どちらが賞を取れるか勝負をしましょう」
「…………………………」

 その時、マークは持ってる性質子が相反するからなんだと言うのだ、注目を集めるから本当に止めてくれと思ったが、それまでに彼女の性格を思い知らされていたため、諦めてあいまいに笑うことしか出来なかった。そんな、自らが真剣であるのに対しあいまいに笑っているマークが気に入らなかったのか、彼女は平手打ちを彼に食らわせたという出来事があった。

「おい、またあの二人が勝負を始めるぞ」
「負けたら劣勢になる。勝ってくれなきゃ困るな」

 更に追加して言えば、この二人が来ている建物の中では男女の争いが起こっているのだが、これも関係している。
 男性が働き、女性が家事を行うという意識は今も社会で根強い。この施設でもそれは同じことで、施設内は男性の比率が圧倒的に高い。
 しかしPPTの部門のみは話が別である。霊学は高い総霊力さえあれば男女問わず受け入れるので、女性が入ってくることも多々ある。PPTの部門はその中でも偶然女性の入る率が高いのだが、社会に根付いた意識から、PPTの部門に入った男性側はその女性側に侮辱、とまでは行かないが、少々酷い言葉を投げかけることがあった。
 そしてそんな中で流星のごとき存在がこの部門に入ってくる。もちろんロジェリシャットのことだ。
 その負けず嫌いの性格が起因し、一度侮辱に似た言葉を投げかけられてから、同部門の女性たちを激励、結集し、男性たちに対抗し始めたのだ。なぜ皇族にそんな言葉をかけられたのか、マークは理解できない。成績優秀で社会的に権力もあり、毅然とした性格の彼女の勢いは部門内の状況を変えてしまう。完全に同等の立場となったのだが、それが原因なのか、男女は謎の争いを始めた。
 しかしマークからすれば、そのようなことは孤児院で子供の頃に経験しており、君らは子供か、と完全に一歩引いた眼で見るようなものなのだ。ちなみに孤児院内の争いは院長によって全員裁かれたことによって終了した。その時の裁きの光景の記憶も、参加しない理由の一つである。
 女性蔑視の風習については、マークもあまりよく思っていない。だが、やり方というものがあるのではないか、と現在の状況を見ると思ってしまう。
 そんな状況が続く中、ライバル宣言がロジェリシャットからマークへ、一方的に行われる。そのせいでマークは男性側のリーダーに祭り上げられ、何か騒動があるたびに先陣に無理やり立たされて来た。
 最近ではマークは比較的女性に近い顔立ちをしているのだから、女性側の人間ではないかとか、二人は付き合っているのではないかとか、様々な噂が飛び交うようになり、どうなろうと目立つ存在になってしまっている。

「返事が無いわね。怖気づいたのかしら?」
「…………いいよ」

 マークにとって論文の提出とは、生活の糧を得るための方法の一つであり、勝負など初めからどうでも良かった。彼は霊力の関係上、直感的な理解が出来ないが、ひたすらな理論の突き詰めと努力の積み重ねにより、霊学に対する知識と理解を身につけてきた。しかし、ロジェリシャットは権力を示すためだけに己の才能を振り回しているに過ぎない、いい加減、こんな下らないことはやめてしまいたいといつもマークは考えるが、彼女が何か言って折れるわけではないことを知っているので諦める。

「でもね、ロジェリシャットさん。君ももう17歳だろう?僕より年上なんだから少しは落ち着いたほうが……」
「その手には乗らないわ!」

 ビッと人差し指を前に突き出し、マークに向かって打ちつけるように言った。実のところマークは、この争いの参加者全員に向かっても落ち着けと言った。ただ、大々的に言うほどの勇気は無いので、このように会話のような何かに混ぜるしかない。

「どうせそのように言って、トップや賞を私から奪うつもりでしょう?」
「…………」

 マークが対抗意識を持っていることを前提にして、ロジェリシャットが言う。マークは別に奪おうだなどと思ったことはないし、トップを取るというの彼にとって自分の努力の評価基準のひとつであって、意識して取ろうと思っているわけではない。賞は流石にないと金銭的に困ってしまうが。

「懐柔策だなんて、見損なったわ!マークヘリオ・アーデルバーグ!」

 マークは頭を抱えたい気持ちを抑えて、普通に彼女に向き続ける。懐柔策などではない。なぜフルネームで呼ぶんだ。言いたいことがありすぎて次の言葉が発せられないまま時間が経つ。すると、彼女の後ろについて来ているうちの一人の女性が言う。

「黙ってるなんて図星なんだーっ!ロジェリシャット様を懐柔しようなんて最低!」

 この部門でロジェリシャットを呼ぶときは様をつけなければならない。仮にも皇族なのであるから、様をつけなければ失礼である。だがマークはライバル宣言の時に、

「貴方と私は対等よ。特別にロジェと呼ぶことを許すわ。よろしく、マーク」

といわれたので、それ以外の呼び方が可能である。ただ、対してマークは、

「え……。うん、よろしくロジェ……リシャット……さん」

そう言ったために、お互いの呼び方は現在の形に落ち着いている。
 ロジェリシャットはその対応に、余所余所しさを感じ、ちょっとした寂寥感のようなものを覚えたが、マークが彼女に持つ印象は天地がひっくり返ろうが好印象と呼べるものではないので、当然であった。
 さて、マークは周りの女性から謂れもない批難を浴びることを是としない人間である。先ほどの女性に続き、何人かが罵声を浴びせて来たため、わずかに涙目になる。気弱な人間に集団で罵声を浴びせ、涙目にさせるという光景は、弱者に対する迫害以外の何物でもない。マークが男性側のリーダーに祭り上げられたのは、この様な事態にならないためのスケープゴート的な意味合いも持つ。この争いの最大の被害者は誰であるかと問われれば、マークの名が最も挙がるであろう。そんなあまりにも酷い光景を見かね、ロジェリシャットは声を上げる。

「みんな、これじゃ余りに多勢に無勢だわ。止めておきなさい」

 鶴の一声と言った所か、そういうとすぐ声は止む。マークは心の中で彼女に感謝した。しかし数秒後に誰が原因か気づき、その感謝を即刻取り消す。
 ロジェリシャットは声が止むのを確認すると、その場で背を向けて去りながら言う。

「今度発行される科学雑誌、楽しみにしておきなさい!」

ご丁寧に笑い声まで出し、人を引き連れ、自分の荷物がある方へ戻っていった。
 嵐は去った、そう思った矢先、活発な印象を受ける黒のベリーショートの髪をした少年がマークに話しかけてくる。

「見てたぞ!羨ましい状況だなぁ!」

 マークは一瞬目の前の人間が誰か理解できなかった。彼の黒の眼を覗き、問う。

「デニー?君か?本当に君か?」
「なんだよ、人の顔忘れたのか?」

目の前の人間が誰であるかは保留にし、マークはまたも問う。

「あれは、どういう視点で見れば羨ましく見えるのかな。精神の健康のために聞いておきたいんだけど」
「どういう視点って、女性に囲まれたらだれだって嬉しいだろ?」

 それに罵声と敵意がついたとしても、羨ましい状況なのだろうか。デニーならYESと答えるだろうと予想しつつ、マークは聞いた。

「むしろただ囲まれるより羨ましいじゃん」

デニーはそうきっぱりと言い放つ。目の前の人間とは感性が違いすぎる、そう考えたマークは会話を終了させることにした。

「なぁ、席に座ったらどうだい?」
「そういえば、お前がロジェリシャット様と付き合ってるって噂、マジ?」
「違うよ」

 一切気にせず言うデニーに対し、マークは答えざるを得なかった。これ以上根も葉もない噂を野放しにしたくなかったからだ。そして、会話を終了させることにした。

「なぁ、席に座ったほうがいいよ」
「それとさ、今度ここ教えて欲しいんだけど」
「たまには自分でやってくれよ」

 ひたすら絡んでくるデニーにうんざりしてきたので、冷たく返す。そして、会話を終了させることにしようとしたところで、壇上の方から怒声が聞こえてくる。

「デニー・ヴァニン!席に座りたまえ!」

 教師がそういうと、流石にデニーも座らざるを得ない。すごすごと自分の荷物を置いた方へ帰っていった。
 嵐は今度こそ完全に去った。マークが唯一平和を満喫できる、講義の時間となったのだ。
 しかし休み時間中のほかの人を見ればどうだろうか?時代錯誤の騎士の如き誇りを持ちながら突っかかってくる人間とも、ひたすら絡んでくる理解不能な人間とも関わっていない。非常に平和である。むしろ講義中こそ、暗雲がかかったかのような顔をし、不機嫌そうだ。
 講義を真面目に聞こうとしない態度はともかく、休み時間なのに休めない自分は結構まずい状況に立っているのではないか、そうマークは思った。
 しかし、どちらも中々こちらの要求を飲まないどころか、話すら聞こうとしない人物なのだ。この機関を無事に出るまで、二人との関わりは切れる気がせず、マークはため息をついた。






 高等教育機関で今日やるべきことを終えたマークは今、ポストの前に立っていた。論文の提出のためだ。カバンから封筒を取り出し、ポストに入れる。すると、後ろから声がかかった。

「論文の資料の請求でもしているの?マークヘリオさん」

 珍しいところで会ったものだ、とマークは思った。振り向かずとも分かる声の主、ロジェリシャットはいつも、機関から帰るときは迎えが来て、乗り物に乗って帰ってしまう。だから街中で会うことなど殆ど無い。
 振り向いて確認すると、なんと機関の中ではいつも彼女を取り巻いているはずの人間たちが、一人もいなかった。それから、質問に答えておこうと
思い、口を開く。

「いや、丁度論文をポストに入れた所だよ」

 そう答えると、ロジェリシャットはやられた、と言いたげな顔をした。論文の提出の後先すら比べるつもりか、とマークは思ったが、名前の長さまで比べる人間が、比べないわけないかと納得する。
 そんなマークの考えなど露知らず、ロジェリシャットは論文が入っていると思わしき封筒をポストに入れながら言った。

「より早く提出するという部分は貴方の勝ちね。でも、肝心の内容はどうかしら……?」

 提出の早さはともかく、内容は大事である。マークの書いた内容が彼女の内容より劣っていれば、マークは賞が取れず、しばらくは貧乏な生活を強いられることになる。一応この場で聞いておいてある程度の予想をつけ、金の使い方を決めておこう。そう考えたマークはロジェリシャットに話しかけた。

「ロジェリシャットさんは、どんな内容を書いたの?」

 そう聞くと、ロジェリシャットは朝と同じように、そこまでだといった様な仕草でビッと手のひらをマークの前に突き出し、言った。

「フフフ、提出したと見せかけ、内容を聞き出そうとするなんてとんだ外道だわ」

 なんでただの世間話のはずなのに外道呼ばわりされてしまうのか、マークは理解に苦しんだ。困惑するマークを無視し、更に彼女は続ける。

「もちろん、この品行方正な私のライバルであるマークヘリオさんが、そのような行いをするとは微塵も思ってないけど」
「じゃあ何で言ったんだ」

 それを聞いた彼女は、分からないの?フフフ、教えてあげるわ、という考えが見て取れる顔をしながら言う。

「軽いジョークよ。貴方には分からない?」

 じゃあ朝の奴もジョークで、そのジョークの所為で僕は罵声を浴びることになったのかと思い、マークはやるせなくなった。

「勝負の瞬間は科学雑誌の発行日。そういったじゃない」

 構わず言う彼女に対し、マークは、もう用は無い、家へ帰ろう、と思い、歩き出す。

「そうか、今度が楽しみだね」

 別れの挨拶のニュアンスでそう言い、ロジェリシャットの横を通り過ぎる。それからしばらく歩いた所で背後についてくる気配があることに気づいて振り向くと、先ほど別れを告げたと思っていたロジェリシャットがついてきていた。しかしマークは方向が同じであるという予想を立て、途中で何か変なことを思いついたりしないか少し恐怖しながら歩く。
 そうこうするうちに、マークはロジェリシャットを自宅の前まで引き連れるような形でつれて来てしまった。ポストのところからよほど方向が合っていたのだろうと思い、玄関のドアの前に立ち、鍵を開けた。

「ここが貴方の家?」

 やはり来たか、とマークは思った。偶然にもライバルの家に、ライバルが帰宅しているところを見たのだ、興味ぐらい持つ。そもそもマークは一方的にライバルと言われただけで、ロジェリシャットのことをライバルとは思ってもいないが。

「そうだよ」
「ふーん。じゃあ、お邪魔するわね」

 衝撃的な一言に対し、マークは驚いて言う。

「えぇ!?なんで!?」
「なんでも何も、私は初めからそのつもりで貴方の後ろについて来たんだけど」

 マークは自らの愚かさを呪った。方向が一緒であるだけだと現実逃避し、対策を怠ったのだ。しかし例え着いてきていると予想を立てていたとしても、彼女を上手く撒く方法を思いつくことは出来なかっただろうと考えた結果、呪うのを自らの運命に変更することにした。
 戸惑った表情を見せるマークに何を思ったのかロジェリシャットは、

「当然私は貴族の淑女なのだから、一般階級の、それも殿方の家に上がりこむという行為は許されるべきではないわ」

と、マークに言った。そして更に大仰に手を横に振りながら、

「しかし、その様な常識に囚われているようでは皇帝の一族は務まらない。私は打倒ライバルのためにこのような行為も難なくやってのけるのよ!」

と続けた。ロジェリシャットは、自らより才能の劣るはずのマークが自分と対等となるには、何らかの秘密があると踏んだのだ。しかしマークには彼女が期待するような秘密など存在しない。そこまで考えた彼は、どうせすぐ帰るだろうと彼女を迎え入れることにした。

「いらっしゃい、何も無いけど」
「家があるじゃない」

 マークは恐らく冗談の類だろうと踏んで無視する。そして奥に進んで行こうとすると、家の内側に入りはしたが、靴の泥を落とすためのマットの前で止まっているロジェリシャットが自信満々の笑みを称え、妙に演劇染みた仕草で言った。慣れないことをし、緊張で高揚しているのであろう。

「この家の主に挨拶がしたいわ。連れてきてちょうだい」

 つまりは、マークの親を連れて来い、と伝えているわけだが、家の主はマークである。だから自分が挨拶をするというちょっとした黒いジョークが頭をよぎったが、どう考えても失礼なのでマークは普通に意図を汲んで説明を始めた。

「僕に両親はいない。一人で暮らしている。挨拶がしたいなら僕にしてくれ」

 そういうと、ロジェリシャットは演劇染みたポーズと笑った口元を固めたまま、眼だけ見開く。自然体に戻るのに数秒かけた後、謝罪をした。

「ごめんなさい、悪かったわ」
「いや、別にいいんだ」

 素直に謝る。悪いことは悪い。それはマークが好ましく思う、ロジェリシャットの数少ない一面であった。そこでふと何かに気づいたような顔をした彼女が質問をしてきた。

「……ということは、私と貴方は一つ屋根の下で二人きりということ?」
「まぁ……、そうなるんじゃないかな」

 間違いではない。しかしそれは直接の意味だけを取ればという条件の上であり、言葉にあるような雰囲気や汲むべき意味を考えれば間違いである。さらに言えば、誰が君とそんな状況になるものか、とマークは本気で思っている。だが彼女は違ったようで、誰とであろうと自分がその様な状況に、もしくはそれに近いような状況になることは彼女にとって恥ずべきことであった。だからであろうか、いつもの毅然とした態度が跡形もなく吹き飛び、例えるならば小動物のような感じになってしまった。言葉を発しなくても、雰囲気だけで分かる。余りに意外すぎる一面に、マークは戸惑いながら話しかけようとするが、

「ひっ」

と驚いたので、話しかけるのを躊躇ってしまう。このまま状況が止まり続けるのは非常に困るので、どうにか解決策を練ろうとマークは考えた。その結果、ドアを開けてそのまま帰ってもらうことにする。彼は、雨に打たれ続けた子犬の如きの震え方をしているロジェリシャットを尻目にドアを開け、お帰り願おうと伝えてみた。
 ぎくしゃくとした動作で何とか外に出たことを確認し、マークは気をつけて帰るんだよといいながらドアを閉めようとする。酷い対応であるが、玄関の前でいつも通りの彼女の雰囲気が復活してきたのを見たのであれば、彼にとって当然の行動だ。しかしドアは閉まりきる前に止まってしまった。

「待ちなさい。このまま帰るわけにはいかないわ」

 わずかに開いたドアの隙間からロジェリシャットが話しかけてくる。好敵手の秘密を探りに来たというのに、ただ家に上がっただけで怯え、帰ってしまうなんてことは、彼女のプライドが許さない。だからここですごすごと帰るよりも、食い下がることを選んだ。マークにとっては迷惑でしかない選択であったが、これは彼にとってもプラスであった。怯えたような顔をして男一人が暮らす家から女性が出てきたところを状況を知らない人間が見れば、何らかの狼藉が働かれたのだと邪推を行うだろう。マークはその考えに思い当たり、素直にドアを開ける。

「かといって、家には入れないんだろ?どうするの?」

 互いに納得できる落としどころを探すべく、マークは問題点を指摘する。決して嫌味などではない。それを聞いたロジェリシャットは悔しそうな顔をし、同時に恥ずかしそうに顔を赤くした。ロジェリシャットに任せていてもまともな判断が下せず、お互い得にならない事態になりかねないと判断したマークは、自分から提案する。

「ここで立ち話するのもなんだし、どこかの店にでも行こう」

 金銭の関係上あまり外食するのは良くないことだが、社会的立場を守るためなら仕方ないと思い、その様な案をだす。ここ一部分だけ抜き出せばただのナンパであるが、マークの腹あるのは、妙な噂が広がって欲しくないという考えのみだけである。
 そしてロジェリシャットは咳払いをし、少し落ち着いてから言った。

「そうね……。少しふしだらな行為に思えるけど、ここまで来たら関係ないわ。貴方に任せます」

 お互いに納得し、マークは何処に行こうか考えながら飲食店が集中する場所へ向かい、ロジェリシャットがその横を歩く。考える途中でマークはあることに気づいた。ロジェリシャットは通常の貴族よりずっと自分に軽く接しているが、貴族であるどころか皇族なのだ。普通ならお付に囲まれ、街中で横を通りすぎることすら不可能な階級の人物なのである。そんな人物を不機嫌にさせないような飲食物を出す店など、マークの記憶には無いし、そんな店に行けば彼の薄い財布の中身が全て失われるというレベルの話では済まないであろう。別にマークがロジェリシャットの機嫌を保つことに意味など無い。だが、わざわざ他人の機嫌を損ねると分かっているような行為をするなどということは、彼の性格が許さなかった。
 だからどうにかしたい、と必死に考えていたところで、横を歩いていたロジェリシャットがその考えを知ってか知らずか言う。

「市民がいつも食べてるようなものを食べるのは機関の食堂以外ではないから、少し楽しみね」

 マークは安心した。彼女が期待するのはマークたちの普段の食事そのものであって、その味には興味はさほど無い。なので、マークはなるべく知り合いに出くわしたりしないような店へ向かう。
 その間、マークは沈黙を避けるためにロジェリシャットに話し返す。

「ロジェリシャットさんは街の店では食べたことないんだ?」
「それはあるわ。でも最低でも一人20万リカットを超える金額だから……」

 マークはある程度予想していたが、少し度肝を抜かれる。普通、一食にかかる金額は800から1000リカットほどであり、マークの場合は400から900リカットだ。街中に幾つかある値段の張る店でも一食2万2000リカットが最高であり、たった一人一食で最低20万リカットなどマークにはどのような料理を普段彼女が食べているのか、想像もつかなかった。そもそもそんな値段の料理が出る店など街には存在しないはずであり、皇族専用のメニューがあるとしか考えられないのだが、その内容を推し量ることなど出来ない。

「……余り味に期待しないほうがいいかな」
「かかってる値段が違うんだから当然でしょ。それぐらいは分かってるわよ」

 あまりに自分とは違いすぎる世界の人間に、マークはそう言うしかなかった。ただ、その辺りは彼女も分かっているようで、再び彼は安堵する。

「親はいない、と言っていたけど、今まで一人で暮らしてきたのかしら?」
「いや、機関に入ってしばらくするまでは、町外れにある孤児院で暮らしてた」

 少し恐る恐るといった感じの聞き方だったので、マークはなるべく軽く答えた。そして、昔のことを思い出しつつやれやれといった表情で付け足す。

「ただ、孤児院って勉強するには少し騒々しいんだ。だからどうにか一人で住むことが出来た時は嬉しかったね」
「一人で住むって言っても、お金はどうしたの。奨学金だけじゃ足りないでしょう?」

 なぜか、マークは論文を書いたり近場で働いたりして貯めたお金から出した、と言うことを躊躇った。しかし、嘘をつくことが好きでない彼は、素直に言うことにする。

「孤児院にいたとき働いて貯めたお金とか、論文の賞金とか、かな」

 ロジェリシャットは少し考えてから真剣そうに尋ねた。

「もし論文の賞金が無かったら、誰かから援助してもらうの?」
「そんなツテは無いよ。多分孤児院からまた通うことになるかな」
「寮はどう?」
「遠くから来てる人で満員らしい。僕じゃあ弾かれるよ」

 もうすぐ目的の店につく所で、ロジェリシャットが立ち止まり、言う。

「私の家から援助を出してあげるわ」
「……なぜ?」

ジェスチャーで進もう、と示しながら疑問を返すと、進みだしながら彼女は答えた。

「もし私が貴方に代わって賞を取り続けた場合、貴方の成績は確実に落ちる」
「君にとってはいいことなんじゃない?あ、そこの店だよ」

 成績が下がるという予想は正解であるとマークは思う。街の外れにある孤児院から通い、騒がしい状況で勉強をする。それは今の環境から比べるとだいぶ悪い状況であると思われる。しかし、別にマークは構わないと思っているし、そこまで下がるとも思っていない。しかしロジェリシャットは店を見回し、首を横に振ってから言った。

「ベストコンディションでない貴方に勝っても何の意味も無い。無駄な勝負はしたくない」
「君は騎士か」

 正直に言えば、援助の話はマークにとって願ってもない話であった。しかし、自分に援助が来る理由が貴族の娘のライバルだからなどというものでは、数多の援助を受けれずに沈んでいった科学者たちに申し訳が立たない。だからマークは、二人用のテーブルに座りながら、同じくその対面の椅子に座ろうとしているロジェリシャットに言った。

「悪いけど、そんな理由じゃ受けたく無いよ」
「流石は私のライバルね。ここで飛びついていたら軽蔑していたわ」

 意識せず災難をどうにか回避していたことにちょっとした嬉しさを覚えつつ、マークはメニューを開いた。選ぶのはもちろん店員に変に思われない範囲でもっとも安い料理である。対面にいるロジェリシャットはとりあえずその真似をし、同じくメニューを開き、言う。

「……予想より全然安い」
「そ、そう」

 ロジェリシャットはこのような店に来たことが無く、あまりの違いに戸惑った。マークはそれを察知し、念のため聞いておく。

「どれを頼む?」

するとロジェリシャットがメニューをこちらに見せるような形でテーブルの上に置き、指差しながら言った。

「名前で決めるならこれと、あとこれ。これも良いわ」

 ロジェリシャットの頼み方はいわゆる貴族風の頼み方で、この店では正しいものではない。止めておくべきだろうと思ったマークが指摘した。そうすると彼女は慣れていない、知らなかったから仕方がないと分かってはいたが、恥ずかしく思い、顔が隠れるようなメニューの持ち方をする。注文が決まったので店員に注文した後、ロジェリシャットは先ほどの話を続けた。

「私はね、貴方を学者として買っているのよ。将来を予想してね」
「それは嬉しいんだけど、どうしても駄目だ」
「……どうして?」
「僕が援助を受けるのは、結果を残して正当な評価を受けてからだ」

 それは一つの意地であった。くだらぬ、愚かな、そう言われても仕方がない、ただの意地。昔のマークは単純に豊かな生活を求めて科学者になろうとしていた。だが道を進む内に、手段は目的となる。マークは自分の努力が正当に評価されることを求め出したのだ。自分の歩んだ道に対して一切の嘘をつきたくない。それこそが彼の意地だった。援助は非常に魅力的な選択肢だったが、そこを妥協するわけにはいかなかった。
 そう話すと、ロジェリシャットは寂しそうな様子で言った。

「貴方は、私のことなんて気にしてなかったのね」
「………………」

 今更何を。マークはすぐにそう言いそうになった口を閉じる。しかし、その所為で沈黙が訪れてしまった。

「…………」
「…………」
「ご注文の品でございます」

 マークは店員に大きな感謝を心の中でし、二人は目の前に置かれた料理を食べ始める。

「……味が濃いし、少ししつこいけど、まずいってわけじゃないわね」
「良かった。値段が違いすぎるからおいしさも違いすぎることはないのか……」
「…………」

 その会話の後、気まずい雰囲気が流れそうになったので、マークはずっと気になっていたことを質問する。

「そういえば、いつも君と一緒にいる人たちはどうしたんだ?」
「…………」

 口にグラタンを運ぶスプーンを持つ手が止まった。しまった、とマークは思う。ロジェリシャットはスプーンを置いてから、言いにくそうに言った。

「…………私はいつも、乗り物に乗って帰るでしょう?」
「うん」

 迎えに来る乗り物は、馬車、PPTを動力とした車などで、乗り物の外見を覚えた頃を見計らったように別の種類のものになっている。そしてその乗り物に彼女は一人で乗り込む。以前彼女は、一緒にいる人達に乗っても構わないと言ったが、相手が皇族だからか、尻込みし、誰も乗らなかった。

「だけど貴方たちは、いつも皆で歩いて帰る。だから、いつもの雰囲気が決まっているわ」

 ロジェリシャットが、ため息をついてから続けた。

「私が加わればぶち壊しになる。流石にそんなことは出来ない」
「…………うん」

 なぜそこまで分かっていて僕のことは分からなかったのだ、マークはそう言いたいのをぐっとこらえる。ロジェリシャットは、迷うような仕草を見せながら言った。

「私は昔から舞踏会とか、社交パーティーに行くことが少なかったわ。霊人としての訓練とか、機関に入るための勉強があったから」

 生まれ持って霊力が高いからといって、訓練無しでは完全に扱いきることは出来ない。そして、高等教育機関に入るには結構な努力がいる。普段はヘラヘラしているデニーですら、機関に入るだけの学力を得るため、必死に学んだ時期があった。デニーの家は親がPPT技師をやっているので、ある程度本人には下積みがあった。だから、どうにか入れた。イメージアップの道具と言っても過言ではない彼女は、機関内に入ってもトップであり続けるためにそれより更に多い努力が必要であり、望む望まざるに関係なくそれを行ってきた。そのせいで、本来貴族の女性の役目ともされている社交界などに行くことは無かった。

「だから、貴族に親しい知り合いはいないの。それからやっと機関に入って、友人が出来たって思ったら……」

 いざ一人で帰るときになれば、自分は女性達のリーダーであるだけで、非常に親しい仲の人物などいなかったのだ。そこでふと思った疑問を、マークは尋ねる。先ほどこのような話を引き出した行動だが、彼の癖のようなものだ。

「でも、何で今日に限って一人で帰ろうと思ったんだ?」
「私の論文だもの、私の足で歩いて、私の手で出したかったのよ。それじゃあ貴方に失礼だと思って」
「君は、騎士か」

 ロジェリシャットはさっきから続けていた、迷うような仕草をようやく止める。それでも声は少し引きつり気味で、緊張しているのが分かった。

「貴方が私より先に賞を貰った時、私は悔しかったのもあったけど、嬉しかったわ」

 彼女は、長い間言うのを躊躇っていたことを、告白するかのような調子で言う。

「皇族と貴族、皇族と市民じゃなくて、一人の学者を志す人間として話せる人に出会えたって感じたの」

告白はなおも続く。マークは黙っているべき場面であるだろうと、うなずくのみで反応していた。

「でもそんな接し方、私は知らなかった。どうにか話してみようと必死に考えた。それで……」
「僕のことをライバル、と」

 ロジェリシャットはそうね、と呟いてから口に微笑を浮かべながら言う。

「ロジェって呼んでくれなかったのはちょっと残念だったけど、様ってつけずに知人から呼ばれるのは初めてだった。話しかけて良かったと思った」
「ご、ごめん……」

 マークは謝っていた。素直にロジェと呼んでおけば良かった。そう思ったからだ。ただ、話しかけて良かったと思ったのはロジェリシャットだけで、マークにとってあの様な注目を受ける状況は不快でしかなかったのは事実である。どうやらその辺りのことはもう彼女も分かっているらしく、

「別にいいわ。私が自分の立場や、貴方がどう感じていたかも考えずに……。あれは少し気安かったわ、こちらこそ謝ります」

と言った。それからロジェリシャットは、マークの眼を見て話を続ける。

「…………今日帰るとき、私は貴方以外の人間と親しい仲は持っていない、と感じたわ。だから貴方のことが一層気になった」

だけど、と続ける彼女の声は今にも泣きそうな震え方をしており、その声で彼女は言った。

「貴方は私のことをどうとも思っていなかった。……むしろ不快に思っていたかも知れない」

 そして彼女は、泣きそうな声のまま在りし日をなぞるかの様な喋り方をする。

「ここで貴方がそうだって知るまで、貴方と街を歩いたり、貴方の家に行ったり、貴方とこういう風に食事をしたり、初めてのことばかりで楽しかった」

 そこまで言われては、マークはもう彼女に対する認識を改めざるを得ない。彼女は今まで、マークが自分のことをライバルだと、近しい存在であると思っていないことに気づかずに突っかかっていたわけでは無く、気づかない振りをしていただけなのだ。しかし、今回のことで、マークだけは自らと近しい存在であって欲しいと意識して彼を見た結果、はっきりと分かってしまった。そしてマークもそれに気づいてしまった。ロジェリシャットはそんなマークに追い討ちをする様な形で目に涙を浮かべ、言った。

「ねぇ、マーク、貴方まで失いたくないの……」

 ロジェリシャットは引きずるように言葉を繋ぐ。彼女は今まで、マークが"ロジェリシャットさん"と呼ぶから、その意趣返しのつもりで"マークヘリオさん"と呼んでいた。本来はマーク、と親しげに呼びたかったのだ。

「お願い、今までのこと、悪く思ってるなら謝るから……」

 この願いを断るのは至難の業である。涙を浮かべ、涙声で頼み込んでくる女性。それだけでも難しいのに、要求はただ今までどおりか、若しくはマークの都合の良いように接して欲しいということ。そして、このセリフを言ったのが他の誰でもない、あのプライドが高い負けず嫌いのロジェリシャットなのだ。更に、マークは彼女に対する認識を既に改めている。断るのは、不可能、ありえない、と言い切れるほどだ。

「だ、大丈夫だよ。友達なら、僕だってなれるから……、ロ、ロジェ」

 だからマークはこう言うしかなかった。普段のマークにはこのような好青年のごときセリフは、天であろうが地であろうが口であろうが、何が裂けようとも言えない。たどたどしい言い方であったが、マークの口からこのセリフが出たのは一種の奇跡だと言えよう。
 それを聞いたロジェリシャットは、ばっと素早く顔を上げる。その目には涙がまだ浮かんでいたが、声は掠れておらず、むしろ上ずっていた。

「ほ、本当?」
「うん、約束だよ」

 そう言い、何となく雰囲気が明るくなってきたのを感じたマークは、しばらくおいてあった料理をほお張る。しかし既に料理は冷めている。反対側に座るロジェリシャットもそれに気づいた様で、二人は目を合わせ、クスッと笑った。

「ごめんなさい、私が長々と話してしまったせいで」
「ううん、いいんだ。お陰で君のイメージが変わった」

 ロジェリシャットは今まで自分がどのようなイメージを持たれていたか何となく想像できたのか、申し訳なさそうな顔をした。そして、彼女はあることをふと思った。

「いくら何でも、いきなり知り合いの前で態度を変えるのは、恥ずかしいわね……」
「大丈夫さ。今までどおりでも、ほどほどにしてくれれば」

 マークにはもう、彼女が何を思って自分に突っかかって来たか分かっている。だから、機関で彼女が今まで通りに接して来ても、大丈夫だと言えるのだ。注目されるのは嫌だが、その辺はいずれ改善されていくだろう。切れないとうんざりしていた関係の一つは、思わぬ方向に変わっていった。マークはその意外な顛末に、顔をほころばせていた。
 食事を終え、会計をしてから外へ出る。ロジェリシャットの顔はもう涙が浮かんでいたことを微塵も感じさせないような晴れやかな笑みをしている。その様子を見ているマークは、どこか嬉しそうに見える。

「これからどうする?僕はもう帰るつもりだけど」
「そうね、私ももう帰るわ。遅くなるとは言ってないし」

 別れを告げ、それぞれの自宅に戻っていく。偶然にもその方向は今二人がいた店からばらばらであった。
 マークは論文の評価が発表される日を楽しみに思った。前のロジェリシャットとは違う感覚で話すのはどういう感じなのだろうと気になった。彼女がいつも通りの接し方をしてくるのか?それとも別か。彼女の感情の事実を知った彼にはそれが楽しみで仕方が無かった。また、ロジェリシャットはマークと時々二人きりで会おうと思った。何となく、人前では先ほどの様に彼と話すことは出来ないと思ったからだ。






 その数日後、マークは政治犯として逮捕されることになる。皮肉にもそれは、科学雑誌の発行日のことであった。










あとがき(確実になかがきであろう)

名前のある人物が4人いるけど、そのうち3人は関係ない。(予定)
ビアンカとフローラ的な展開を予想した人は許せ。関係ない。(予定)
あとヒロイン決定してない。そのまま書くとどうなるか教えて。(恐怖)

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No title

ロジェリシャットさんマジロジェリシャット。マークの鬱陶しいと思ったがツボに入りました。

あとこんなところで切るなよ! 続きが!! 気になるだろ!!!

ワクワクが止まらないぜ!!!!!

No title

ラブコメっぽい雰囲気かと思いきやラストとあとがきでどんでん返しくらいました
これからどうなってしまうのでしょう。ワクワクが止まりませんね

なんかこーね、技術のお話だとかね。そういうバックボーンをしっかり作れるのは凄いと思うのよ。やっぱり難しいよ
うん、次も楽しみだよ
プロフィール

しなび。

Author:しなび。
なんていうか、もうどうにでもなーれ☆

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